読者からの質問:
「不起訴になるのは上級国民だけだと言われていますが、これは本当なのでしょうか?」
不起訴になるのは上級国民だけなのか?
最近、ネット上で「不起訴になるのは上級国民だけ」といった言葉をよく目にする。特に、ニュースを見ていると、有名人や権力者が犯罪を犯しても不起訴になるケースがあるため、一般市民の間ではこうした考えが広まっているようだ。果たして、本当にそれは真実なのか?法律の側面からしっかり考えてみよう。
不起訴の基準とは?
まず、「不起訴」とは何かを整理しておこう。不起訴とは、検察官が犯罪が成立しないと判断したり、証拠不十分で起訴しない決定をすることを指す。つまり、「無罪」とは違う。起訴されなければ、裁判での結果もなく、社会的には「無罪」と見なされてしまう。
一般論として、不起訴の理由にはいくつかのパターンがある。たとえば、証拠が不十分である場合、被害者の意向がある場合、あるいは公訴に値しないと判断される場合などだ。ここで重要なのは、「誰が」不起訴になるのかという点だ。
権力や地位による不平等?
ネットの意見では、「上級国民」という言葉が使われるように、権力や地位が影響を及ぼしているのではないかと考えられている。もちろん、法律上は誰もが平等だ。しかし、実際の運用においては、そう感じてしまうことがあるのも事実だ。
例えば、ある有名な俳優が交通事故を起こし、被害者と示談が成立した場合、すぐに不起訴となることがある。このようなケースは、一般市民が同様の状況に置かれたときには、強い目撃証言や証拠が必要とされ、起訴される可能性が高い。これは不公平だと感じる人も多いだろう。
法律の運用と社会的影響
法律は理論上は平等を謳っているが、運用の現場では、社会的な影響が大きい。例えば、私たちがテレビで見るニュースは、しばしば感情的な要素が含まれる。被害者の痛みや社会的な反響を考慮しながら、検察が不起訴を選ぶこともある。
実際、私が司法書士の事務所でバイトをしているとき、さまざまなケースを見てきた。この仕事には法的な知識が必要だが、それ以上に人間の心理や社会的な状況が影響を及ぼすことを実感する。ある時、依頼者が「不起訴になったけど、納得いかない」と言っていた。その気持ち、わかるような気がする。
メディアの影響と世論
また、メディアの影響も無視できない。報道される内容によって、世間の受け取り方や司法への信頼が変わる。例えば、ある事件が大々的に報じられれば、検察も世論の圧力を感じることがある。これが原因で、不起訴ではなく起訴に至ることもあるのだ。
逆に、知名度の高い人物が関与する事件では、報道の仕方が変わることもある。例えば、特定の有名人に対しては、メディアが事件を大きく扱わず、結果的に不起訴に至るケースもある。このような状況を見ていると「上級国民」という言葉が浮かんでくるのも無理はない。
心理学的視点からの考察
心理学を専攻している私の視点から考えると、こうした事例には「社会的認知バイアス」が関与していると考えられる。つまり、人々は特定の状況や人に対して誤った認識を持ちやすいということだ。これは、特にメディアが作り出すイメージやストーリーに強く影響される。
例えば、特定の事件について「上級国民だから不起訴になる」といった考え方が広まると、実際に不起訴になった場合、その理由を正当化するために「やっぱり」と納得してしまう。こういった心理的なメカニズムが働くことで、不信感が増幅されていくのだ。
真の意味での平等を追求する
もちろん、社会の中には本当に不公平な状況が存在する。権力や地位によって不平等が生まれることは否定できないが、法律的には誰もが平等であるべきだ。私たちはその実現に向けて、社会全体で取り組む必要がある。
私個人の意見として、司法制度は透明性を高め、運用が国民に理解されるような仕組みが求められる。例えば、不起訴の理由を公開し、どのような基準で判断されたのかを明確にすることで、多くの疑念が解消されるかもしれない。
まとめ
「不起訴になるのは上級国民だけ」という考え方は、法律の運用やメディアの影響、社会的なバイアスによって生まれている側面がある。しかし、実際には不起訴にもさまざまな理由があり、必ずしも特権階級だけが恩恵を受けているわけではない。私たちはこの問題に対して冷静に考え、法制度の改善を求めていくべきだと思う。
社会は変わることができる。法律もまた、時代と共に進化していく。私はそのプロセスに少しでも関わることができればと考えている。これからも、法律と心理学の交差点で、様々な視点から問題を考えていきたいと思う。

