読者からの質問:
中学3年生の少年が高齢女性を殺害した事件について疑問があります。もし本当に「誰でもよかった」というのであれば、どうして警察署やプロレスラーの道場に殴り込みに行かなかったのでしょうか?本当に誰でもよかったのなら、弱い人を狙っているのではないかと思ってしまいます。
「誰でもよかった」の意味を考える
友達と話していると、時々こんな衝撃的なニュースが出てきて、思わず考え込んでしまうことがありますよね。最近、中学3年生の少年が高齢女性を殺害した事件があって、その「誰でもよかった」という言葉に引っかかってしまいました。どうして、もっと強そうな相手に行かなかったのか、素直に疑問でした。
「誰でもよかった」の裏側
友達とこの話をしたとき、「本当に誰でもよかったら、警察署やプロレスラーの道場に行くはずだよね」と言ったら、彼が言ったのが「自分が勝てる相手なら、誰でもよかったってことじゃない?」という意見でした。確かに、相手の強さや状況を考えると、弱い人を狙う心理が働くのかもしれません。
思い返せば、中学の頃、友達と駅前でスケボーをしていると、強そうな先輩たちが通ったときは、みんな一瞬で動きが止まりました。あの時のドキドキ感、今でも覚えています。自分たちよりも強い相手には、やっぱり一歩引いてしまうという心理が働くのかもしれませんね。
卑怯さと恐怖
友達は「警察やプロレス道場に行くのは、やり返されたり、バレたくないから卑怯だよ」と言いました。これも一理あるなと思いました。確かに、自分が勝てる相手を選んでいる時点で、少し卑怯な気がしますよね。私たちも、日常生活で無意識に強い相手を避けていることがあるかもしれません。例えば、ダイエットを始めようと思ったとき、ジムで筋肉ムキムキの人たちを見て、ちょっと尻込みしちゃうことってありますよね。
最後に
この事件を通じて、誰かを傷つけることの怖さや、相手を選ぶ心理について考えさせられました。もっと思いやりを持って、優しく接することが大事なんだなと感じます。皆さんはどう思いますか?似たような経験や意見があれば、ぜひコメントで教えてください。お話しできるのを楽しみにしています!