「ありがとう」と性被害の関係を考える: 合意の有無をどう判断するか

「ありがとう」と性被害の関係を考える: 合意の有無をどう判断するか

読者からの質問:
最近、中居正広さんに関する報道を見ていて、ある意見が気になりました。「女性が後で“ありがとう”と言っていたから、合意があったのでは?」というものです。この考え方は本当に正しいのでしょうか?

フジテレビの第三者委員会の報告書には、“ありがとう”という言葉が実際にあったかどうかは触れられていません。それを根拠に合意があったと断定するのは早すぎる気がします。

また、強い緊張や恐怖の中では、人は相手に逆らわずにやり過ごそうとすることがあります。笑顔や優しい言葉、さらには「ありがとう」といった表現も、自己防衛のために出てしまうことがあるのです。それをもって「同意があった」と考えるのは、被害者の心理を無視しているのではないでしょうか。

厚労省の通達にも「迎合的な態度があったとしても、それが被害を否定する理由にはならない」と記されています。こうした現実や制度の基準をしっかりと考慮することが重要だと思います。

そこで質問です。「ありがとう」という言葉があったとして、それだけで性被害の可能性を完全に否定できるのでしょうか?皆さんはどう思いますか?意見をお聞かせいただけると嬉しいです。

「ありがとう」と性被害の関係について考える

最近、中居正広さんに関する報道を目にして、ちょっと考えさせられる意見を見かけました。「女性が後で“ありがとう”と言っていたから、合意があったのでは?」というものです。これって、本当に正しい考え方なのか、非常に疑問を感じます。

実は、私も以前、友人の結婚式で「ありがとう」と言われた時、思わず「いや、こちらこそ」と返してしまったことがあったんです。友人が感謝の気持ちを伝えてくれるのは嬉しいことだけど、その裏には色々な背景があるんですよね。報告書にあるように、実際にその言葉があったかどうかは不明だし、単に一言で合意があったとは言えないと思います。

人の心理を考える

強い緊張や恐怖の中では、「ありがとう」という言葉が出ることもあると思います。私も、何か嫌なことが起きた時、つい笑顔を作ってしまったり、相手を気遣ってしまうことがあります。そんな時に「ありがとう」と言われても、果たして本当に心からの感謝なのか、自分を守るための反応なのか、わかりません。

厚労省の通達にあるように、「迎合的な態度があったとしても、それが被害を否定する理由にはならない」というのは、非常に重要なポイントだと思います。被害者の心理を無視することはできません。どんな状況でも、相手が何を感じているか、どう思っているかを理解することが大切です。

中居氏の反応から考える

中居氏が「全責任は私個人にある」と発言したことも、何かしらの重い意味があるように感じます。反論や争いをしなかったというのは、彼自身が何かを理解しているからかもしれません。周りの話や意見だけではなく、彼の反応にこそ、真実が隠れているのではないかと思います。

個人的には、相手が「ありがとう」と言ったからといって、必ずしもその行為が合意の下で行われたとは限らないと思います。逆に、言葉だけで判断することは、非常に危険だと思います。

最後に

皆さんはどう思いますか?「ありがとう」という言葉があったとして、それだけで性被害の可能性を完全に否定できるのか。意見を聞いてみたいです。私たちの周りでも、こうした問題について考えるきっかけになることが大切だと思うので、ぜひコメントで教えてください。