読者からの質問:
井上陽水さんの「傘がない」の歌詞について考えています。歌の冒頭で「都会では自殺する若者が増えている」とありますが、もし当時、田舎で自殺する人が多かったら、「田舎では自殺する若者が増えている」と歌詞が変わっていたのでしょうか?その可能性についてどう思いますか?
井上陽水の「傘がない」と時代の変化
先日、友人と飲みに行ったときに井上陽水の「傘がない」の話題が出た。彼はこの曲の冒頭の歌詞について深く考えているようで、「都会では自殺する若者が増えている」という部分が特に気になっているらしい。彼の意見を聞いていると、当時田舎でも同じように自殺が増えていたら、歌詞はどう変わっていたのかという疑問が浮かんできた。
時代の象徴としての歌詞
友人は、72年の発表時に田舎での自殺がテーマになっていたら、陽水はその状況を歌詞に取り入れたかもしれないと言っていた。しかし、彼はそれが難しい理由を説明してくれた。70年安保の影響で、学生運動が盛り上がっていた時期が終わり、孤独を感じる若者が増えていた背景があるからだ。これは特に都会に上京した学生たちに顕著だったという。
私自身も、時代の変化によって人々の心情がどのように変わっていったのかを考えると、非常に興味深い。安保闘争後の「連帯幻想」が壊れ、人々が感じる孤独感や無力感が、陽水の歌詞に色濃く反映されていると感じる。
社会批判としての「傘がない」
友人は、「傘がない」が単なる社会批判ではなく、フォークソングの新たな形を打ち出した作品だとも言っていた。確かに、それまでのフォークソングには「いつか明るい未来が来る」という希望があった。しかし、「傘がない」では「こんな世界はどうしようもない」というあきらめの感情が前面に出ている。初めて聴いたときの衝撃は、今でも忘れられない。
私もあの曲を聴いたとき、未来に対する予測とも取れるような暗い気持ちを抱いた。日本はその後、どこかしらその方向性に進んでしまったのではないかと感じる。今思えば、あの曲は単なる歌ではなく、時代を象徴する一つのメッセージだったのかもしれない。
読者の皆さんの体験を聞かせてほしい
こんな風に、音楽や歌詞から時代の変化や人々の心情を読み取ることは、実に面白い。私たちの周りには、今でもそんな歌や曲がたくさんあると思う。もし皆さんも、何か印象に残っている歌や曲があれば、ぜひコメントで教えてほしい。どんなエピソードがあるのか、聞いてみたい。私たちの気持ちや体験を共有し合うことで、さらに深く理解できるかもしれないから。