読者からの質問:
著名人の不祥事について、特に不倫や性行為の強要疑惑に対して騒ぎ立てる人たちが理解できません。犯罪に関わることならまだしも、自分には全く関係のない当事者間の問題に対して、SNSで「〜を許すな」とか「〜の復帰を許すな」と投稿しているのを見ると驚きます。なぜそんなに熱心に他人の不祥事を批判するのでしょうか?コンプライアンスに縛られた世間や、その声に負けて干されてしまう芸能界を見ていると、とても残念に思います。もっと自分のことにエネルギーを使えばいいのにといつも感じます。
他人の不祥事に対する熱意、ちょっと考えてみた
最近、SNSを見ていると、著名人の不祥事に対する批判がすごいことに気づいたんだ。特に不倫や性行為の強要疑惑について「許すな!」とか「復帰は絶対にダメ!」って声がたくさん上がっているのを見ると、正直驚くよね。あれって、どうしてそこまで熱心なんだろう?
私も、たまにそういう投稿を目にしては「なんでそんなに他人のことに熱くなれるんだろう?」って考えちゃう。自分には全く関係ない話なのに、なぜか心の中でモヤモヤしてしまう。思い返せば、以前に友達と一緒にコメディのライブに行ったとき、そこでのネタが「有名人の不倫」だったんだ。会場全体が爆笑で盛り上がったけど、同時に「これって本当に笑い事なの?」って少し考えさせられた瞬間でもあった。
公正世界仮説と正義中毒
そんなことを考えていると、ユーザーのコメントで「公正世界仮説」という言葉が出てきたのが印象的だった。この仮説によれば、人は世の中が公正であってほしいと望むから、他人の不祥事に対して強く反応するらしい。つまり、悪いことをしたら必ず罰を受けるべきだと考える心理が働くんだね。
確かに、そういう気持ちが根底にあれば、「みんなで協力して悪事を撲滅する」という考えも分からなくはない。でも、ここで思うのは、彼らが本当に社会のためを思って行動しているのか、それともただの「正義中毒」なのかということ。私たちも、自分の生活や周りの人を大切にすることにもっとエネルギーを使った方がいいんじゃないかな。
冤罪の話は心に響く
それにしても、コメントにあった「冤罪不当逮捕」の話にはドキッとした。日本の警察に対する不信感って、実際に経験した人には強烈なものだろうし、私も普段の生活の中で「本当に信じていいのかな?」って感じることがある。私の友達も一度、ちょっとしたトラブルに巻き込まれて警察に事情を聞かれたことがあるけど、彼は「自分は何も悪いことをしてないのに、なんでこんな目に…」って本当に参っていた。
こうした話を聞くと、私たちも他人の不祥事を批判するのはいいけれど、自分の周りの人たちを大切にすることの方がもっと大事なんじゃないかって思う。みんなで悪を撲滅するのもいいけれど、日常の中での小さな正義を大切にすることも忘れたくないよね。
あなたの意見は?
さて、みんなはどう思う?他人の不祥事に対する反応や、自分の周りのことにもっとエネルギーを使うべきだと思う?ぜひコメントで教えてほしいな。私も、みんなの意見を聞きながら自分の考えを深めていきたいし、共感できる部分があったら嬉しいな。日々の小さな出来事についても、何か面白い話があったらぜひシェアしてね!