作家の偉大さを並べるのは、果てしない迷宮だ
先日、友人とカフェで話していた時のことだ。彼がふと「もし作家の偉大さを順番に並べるとしたら、どうなると思う?」と聞いてきた。その瞬間、僕はコーヒーカップを手にしたまま、固まってしまった。いや、本当に。頭の中が一気にパニック状態になったんだ。
まずはトップ3を考えてみた
「うーん、まずはトップ3から考えようか」と言いながら、僕はメモ帳を取り出した。でも、いざ書こうとすると、手が止まる。トルストイ? ドストエフスキー? それともシェイクスピア? いや、でも村上春樹も外せないし…。結局、最初の10分はただ紙の上でペンをクルクル回しているだけだった。
友人も同じように悩んでいて、「これは難しいな」と苦笑い。結局、僕たちは「偉大さの基準」を決めることから始めることにした。作品の影響力? 文学的な革新性? それとも読者に与える感動の深さ? でも、それすらも人によって違うんだよね。
意外な発見:偉大さは時代によって変わる
ふと、大学の授業で教授が言っていたことを思い出した。「偉大さは時代によって変わるんだよ」と。確かに、シェイクスピアは今でも偉大だけど、彼の時代にはもっと多くの偉大な作家がいたかもしれない。でも、歴史の中で淘汰され、残ったのが彼なんだ。逆に、現代の作家の中にも、将来的に「偉大」とされる人がいるかもしれない。
この話を友人にすると、彼は「じゃあ、未来の偉大な作家は誰だと思う?」と聞いてきた。僕は少し考えて、「多分、今はまだ無名かもしれないね」と答えた。そう言いながら、ふと自分が書いているブログのことを思い出して、ちょっと照れた。
結局、順番はつけられなかった
結局、その日は順番をつけることができなかった。代わりに、僕たちは「偉大な作家」についての思い出話をたくさんした。僕がドストエフスキーの『罪と罰』を読んで、主人公の苦悩に共感しすぎて夜も眠れなかった話。友人が村上春樹の『海辺のカフカ』を読んで、現実とファンタジーの境界が曖昧になり、しばらく現実感が戻らなかった話。そういうエピソードを話しているうちに、時間があっという間に過ぎてしまった。
偉大さは人それぞれ
結局のところ、作家の偉大さを順番に並べるのは無理なんだと思う。なぜなら、偉大さは人それぞれの体験や感情に深く結びついているから。ある人にとってはトルストイが最高の作家かもしれないし、別の人にとっては村上春樹かもしれない。それでいいんだと思う。
でも、こうやって話すことで、新しい作家や作品に出会えるきっかけにもなる。友人が「次はこの本を読んでみて」と薦めてくれた本が、僕の次の「偉大な作家」になるかもしれない。
あなたの「偉大な作家」は誰?
というわけで、今回は僕なりの「偉大な作家」についての話をしてみた。でも、これだけでは終わらない。あなたの「偉大な作家」は誰ですか? ぜひコメントで教えてください。もしかしたら、僕の次の読書リストがまた増えるかもしれない。
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