縄文時代の海面変動と東京生活の思い出

縄文時代の海面変動と東京生活の思い出

読者からの質問:
縄文時代に暖かくなって氷河が溶け、海面が上がったことで、墨田川や荒川の沖積平野と武蔵野台地の境目が波に浸食されて、海食崖ができたのでしょうか?その後、海岸線が後退したのは寒くなって海面が下がったからなのか、それとも河口や海岸に土砂が堆積したからなのでしょうか。

東京出身の人なら小学高学年で習うことですが、田舎出身の私は大学まで都会のことを知らずにいました。大学進学のために東京のアパートで暮らし、アルバイトをしながら家賃を払い、勉強はほとんどしていません。極貧の家庭に育ちましたが、スイスのツェルマットは上高地よりも大きな町で、登山や観光用のホテルや店が多く、値段もニューヨークより高いと聞きました。

ツェルマットのホテルの半分以上は下宿屋と区別がつかず、長期滞在者のほとんどは店の従業員かもしれません。夏は稼ぎ時ですが、冬はどうなるのか分かりません。真冬でも登山者はいますが、観光客は山を眺めるだけで暇を持て余すこともあります。大雪や大雨で閉じ込められても、餓死することはないでしょう。

上高地は通年一般車の乗り入れが禁止ですが、ツェルマットにはカートレインで行けます。日本も青函連絡船を残しておけばよかったのに、トンネルができたから廃止されたのか、洞爺丸台風で沈んだのかは知りません。

南千住のドヤ街(山谷)は通年営業ですが、ほとんどは一般客を泊めません。下宿屋と区別がつかないけれど、仕事のために東京に泊まる人は

縄文時代の海面変動とその影響

読者の質問に対して、縄文時代の海面の上昇とその後の環境変化について考えてみよう。縄文時代は、暖かい気候が続き、氷河が溶けたことで海面が上昇した時代だ。そのため、墨田川や荒川の沖積平野と武蔵野台地の境目が波に浸食され、海食崖が形成された可能性は高い。こうした変化は、地形や生態系にも大きな影響を与えたはずだ。

その後、海岸線が後退した理由については、寒冷化による海面の低下や、河口や海岸に土砂が堆積したことが考えられる。例えば、河川からの土砂流入が海岸線を変える要因となることは多く、これが海岸の形状に影響を及ぼすのは不思議なことではない。

自分の体験と東京の街

さて、私自身の体験を少しシェアしたい。大学進学のために東京に来たとき、初めてのアパート生活にはドキドキした。引っ越しの前日、荷物を詰め込みすぎて、早朝から友人に手伝ってもらい、結局遅刻してしまったことを思い出す。東京の街は広く、特に南千住のドヤ街の雰囲気は独特で面白い。通年営業の宿泊施設は、仕事で泊まる人たちが多く、一般の観光客は少ない。そこでの出会いや会話は、時には笑いを誘うこともあった。

特に、仕事が終わった後の居酒屋で、地元のおじさんと盛り上がったことがある。「お前、そんなに食べるんか?」と驚かれながらも、焼き鳥や揚げ物をつまみながら、まるで友達のように語り合った。こうした小さな交流が、私の東京での生活を豊かにしてくれた。

ツェルマットについての思い出

ツェルマットについても思い出がある。友人がスイスに住んでいると聞いて、旅行に行ったときのことだ。確かに、ツェルマットは観光地として賑わっており、山々の美しさに圧倒された。ホテルの半分以上が下宿屋と区別がつかないという話も面白かった。長期滞在者が多く、そこで働く人たちの生活が垣間見えたのは新鮮だった。

ただ、冬になると観光客が減り、どうなるのか不安になる気持ちも分かる。私も寒い時期に行ったことがあるが、登山者が少しだけいたものの、観光客はほとんどいなかった。そんな中で、地元の人たちと過ごした時間が、逆に心温まる体験になった。

最後に

皆さんも、自分の体験や思い出をぜひコメントでシェアしてほしい。どんなことでも構わない。私は、そんな小さな出来事が人生を彩る大切な瞬間だと思っている。お互いの話を聞きながら、楽しい時間を過ごせると嬉しい。