読者からの質問:
中居正広さんが手を上げたり暴力的なことをしていないことをみんなに知ってもらうために、何百万、何千万もかけて弁護士を雇っているのでしょうか?それとも、賠償金を逃れるための準備なのでしょうか?
また、ジャニー喜多川さんは何百人もの男の子に対して性加害を行ったのでしょうか?彼に逆らうと干されるから、みんな抵抗できなかったのではないかと思います。
中居正広さんはこの状況を理解した上で行動しているのでしょうか?
中居正広さんとジャニー喜多川さんの問題について考える
最近のニュースを見ていて、中居正広さんやジャニー喜多川さんの件が気になって仕方がない。特に、暴力の定義や性加害についての議論が深まっているのを感じる。僕自身、心理学を勉強している身として、こういった問題には特に敏感になってしまう。
中居さんが「手を上げていない」と主張している件について、彼やその代理人が強調しているのは、肉体的な暴力がなかったということだ。しかし、これは一見すると暴力を否定しているように見えるが、実際には暴力の定義を狭く解釈しているだけのように思える。国際基準では、強い言葉による威圧や、権力関係における性的行為も立派な性暴力とされているからだ。
賠償金のリスクと名誉回復
中居さんが高額な弁護士を雇うのは、おそらく名誉回復というよりも、将来的な民事訴訟リスクの封じ、つまり賠償金の減額や否定を狙っているのだろう。彼が本当に「同意があった」と思っているのか、それとも戦略的な否認なのかは判断が難しいが、あの反論文は世間への説明というより、法廷を見据えた布陣と捉えた方がいいだろう。
ジャニー喜多川さんの件についても、加害行為は肉体的な暴力ではなく、立場を利用した精神的圧力によるものだったという報告がある。逆らったら干されるという恐怖から、少年たちは抵抗できなかった。これはまさに権力による無言の強制であり、中居さんの事例とも重なる部分が多い。手を上げたかどうかが本質ではなく、抵抗できない関係性の中での性加害があったかどうかが本当に重要なポイントだ。
社会の構造的な問題
このような問題に直面している中で、僕は「中居個人が悪い」とか「ジャニーが異常だった」という二択ではなく、もっと根本的な問いが必要だと思う。それは、「この社会のどこに抵抗できない構造が残っているのか?」ということ。自分自身も、普段の生活の中で無意識に同じような構造に巻き込まれていることがあるかもしれない。そう考えると、非常に身近な問題に感じられる。
最近、友達と一緒にカフェで話していたときに、「人間関係の中での力関係って、本当に難しいよね」と盛り上がったことがあった。小さなことであっても、力関係が影響を与えることが多い。そうした中で、どうやって自分の意見を主張するか、あるいは誰かを助けるかというのは、常に考えなければならないテーマだ。
みんなの経験を聞かせてほしい
この記事を通じて、みんなの考えや経験もぜひ共有してほしい。身近に感じる問題だからこそ、みんなで考えることで理解が深まると思う。特に、権力関係や暴力の問題について、どのように感じ、どのように対処しているのか、コメントで教えてもらえたら嬉しい。自分自身もまだまだ学ぶことが多いので、みんなの意見を聞くのを楽しみにしている。